人気ブログランキング | 話題のタグを見る

核家族を思う

いま住んでいるところは、近所にアパートがたくさんある
2階建てのアパートには出窓があって
出窓にあこがれていた私

家は賃貸のマンションの4階で、車で走ると、建てているマンションも満室御礼と表示がある

みんなすごいなあ…

でも、思う

家賃を払っているうちに自分の家が欲しいと思うようになるのか

このアパートに住んでいる人たちが、新婚さんのうちは2人で住むようにと言う親子の思いなのかどうか

アパートから親の家に帰るならいい

いや、親だって自分の家やマンションがない人たちだってもちろん多いけど

私たち夫婦は末っ子同士の結婚だったから

親と住むというのはなかったし、夫の親も借家だったから、狭いし同居なんてありえなかったけど

私の実家は疎まれて育った私の家ではなくて、独身の長姉が当然のように両親を看取ってくれたけど、長姉は孤独死をした

亡くなる前に、長姉の友人にとちゃんと暮らしたいと言っていたと聞いた

夫婦仲のことを知っていたから、でも生前に一緒に暮らそうかと言われたとしても次男もいるし具体的に考えることはなかったと思う

今ババになって思うのは

姑も母も離れて暮らす私には、どんな風に年を取っていったのかがわかっていない

少し前までできたことが出来ないとか、何かすることが面倒になるとか、年だからこその思いが、何もわかっていなかった

そばで見ていたら、自分が年を取った時に、母もこんなふうだったなあと思うことが出来たのかどうか

姑は旅先で救急車の中で亡くなり、母は夕飯まで寝るからと言って5時に布団に横になって6時半にご飯だからと起こしたら亡くなっていたという、2人とも心不全だ

2人とも、看病をするとか、下のお世話をするとか、そういうことがなく、逝ってしまった、それは私もあやかりたいと思う

姑は76才、母は83才だった

そばにいたら、73才の私は年の取り方を知ることが出来たのかどうか

結婚した夫婦にみんなみんな家やマンションが必要なのだろうか

昔のように、狭い家で、襖一枚向こうに親がいて、泣き言を夫に言うこともできない昔とは違う

若い人も、家のローンがあって生活は汲々としている

子どもはそろって鍵っ子だ

サザエさんのように、娘さんの親との同居でも、できない事なのか

ずいぶん前に、ネットで、ママ友のお姑さんが亡くなったということのコメントに

裏山という言葉があって、少しわからなかった、羨ましいということかと分かった時、哀しかったのは、私が姑だからか

今の私自身のことではなくなってしまったけれど

親との同居はそんなにマイナスのことばかりだろうか

自分の思いのままになるという日常が、当たり前のことになれば、頭脳は、それを変えるときに、頑張らなくてはできないことになってしまっているらしい

結婚してもひと月に1回ぐらい親の顔を見に来るものだと言った母に、私は義理で出かけていた
それでは母の年の取り方はわかっていなかった

子どもの時、選挙の結果のことをテレビで見ながら、何か言っている両親に、こんなつまらないテレビじゃなくドラマが見たいと思ったけれど

戦争中のつらかったこと、大好きな兄を戦地で亡くしたことなど、何回も聞きながら、知らない戦争のこともなんとなくは思うことがあった

そういう歴史のことや、政党のことなど親から聞くこともなく、若い両親とそれを話すことがあるのかどうか、18才から選挙権と言っても

どんなふうに誰に票を入れるのか、用事があるからと棄権するのか

子どもは、18や成人したらそれでいいという訳ではない

一番身近にいる大人の思いを知ることも、まだまだ習うべきことなのではないかと思う

姑の自分とお嫁さんとの仲が良かったから思うことなのかもしれないけれど、仕事を終えて夕飯の支度をするとき時間はみんな同じ24時間しかないのに、大変だなあと思う

住宅にお金を使う今の生活に、若い人の貧困に、親と同居は考えられないのだろうか

子どもを一人育てるのに数千万円のお金がかかるらしいと聞いた

長男の家の子も大学生と高校生になる

その学校の費用が高いと聞いて、大変なことだと思う

ババの預金も減るばかりで、今頃賃貸に引っ越したりするから、援助してあげることもできない


# by tokotonton1952 | 2026-02-20 12:05 | Trackback | Comments(4)

植物園

今日は次男を職場に送った後、久しぶりに一人で植物園に行った
歩くコースは私の中では決まっていて

この辺りにはヤマガラがいた

少し先にはツグミがいた

その先の木の枝にカワセミもいたのに

と思いながら歩く

今日は鳥より、セツブンソウが先だった

作業をしている植物園の方がいて

咲いてますか?と声を掛けたら、小さいのが一輪だけ咲いていますと答えてくださる

植物園_e0271758_17362153.jpg

近くにいたのか、同じくらいの年齢の女性もそばに来て

どこどこ、いつも楽しみですよね

写真を撮るのに、この柵の中に入って寝そべって撮る人がいるですよ

カメラを持っている人は自分は特別な人だと思っているみたい

どんな芸術作品を撮りたいのか、あきれてしまう

なんて話が弾んでしまった

この植物園でも、時々草花を取る人がいて、見つけたら草を置いて逃げていったこともあったと

独占欲なのか、どうしてそういう花を自分の手に入れたいと思うのかわからない

ここで咲いても、違う所では育たないことのほうが多いのにね

お仕事の邪魔をしてと、3人とも別れた

私は鳥を撮りたくて

いつもの道を歩くと、目の前に、ジョウビタキのメス、やっと会えた、会えないまま春になったら渡ってしまうのに

植物園_e0271758_17401376.jpg




続いて、あれは?と思って傍によると、ルリビタキのメス

今日はそれだけでめちゃめちゃ嬉しい

植物園_e0271758_17382409.jpg

立ち話していた目の前の池、音がしてみると

アオサギが池から出て高い木の上に止まった

羽がびしょびしょ、濡れ鼠みたい

植物園_e0271758_17335393.jpg

悪いけど、アオサギ好きじゃない

猛禽類という感じがないのに、ネズミを食べたりするから

猛禽類が何を食べても、かっこいいなあと思うのに、アオサギは嫌だというのは、これは贔屓かな

シジュウカラはここの主みたいなもの

ヤマガラもいっぱいいた

ヒヨドリもうるさいほどいる

人工の川のそばに誰もいない、林の中で、ドラミングが聞こえた

あちこちから聞こえてきてどの木にいるのかわからない

いたいた、コゲラ、一番小さいキツツキ

目のまえ、2メートルという所で木をつついてる

植物園_e0271758_17343739.jpg

林から人工の川の所まで戻ったら、一斉にヒヨドリが飛び立った

あ~~ごめん、水浴びしていたのかな
そのまま動かずじっとしていたら

ヒヨドリが戻ってきた

見ていたらヒヨドリも烏の行水だった、ドボンと入ったとたんに飛んでいる

水浴びにならないじゃない

繰り返してドボン・・・

植物園_e0271758_17360489.jpg

水だけ飲む場所と、水浴びする場所をすぐ近くで使い分けている

私のカメラと経験年数では、ヒヨドリの水浴びのドンピシャと言うのは撮れない

花の少ないこの2月

歩いている足元に、もちろん花壇に、白い花、スノードロップの仲間、それより少し早いのか

オオユキノハナと言う名札

植物園_e0271758_17415945.jpg

マツユキソウともいわれるかな

この花を見ると

「森は生きている」を思い出す

家来が、何かで捕まえた人の処分を王女に聞くと

指を数えて、しけいにせよ しゃくほうせよ と数えて少ない文字数の、死刑にするというシーンがある

おいしい?と聞いた新婚時代、夫は、まずけりゃ食わないと言った

短い言葉で、美味しいと言ったら良いのにと、私は一人思った

こんなことで、「森は生きている」を引き合いに出しちゃいけないよね

わがままな王女が、大晦日に、まだ咲くはずのないマツユキソウを取ってくるようにと言うおふれを出す

欲深な義母が女の子に取ってくるように命じる

12月の精たちがマツユキソウの花を咲かせてくれて・・・

まだ雪の寒い日に、寒がっていた義母と姉娘に毛皮を渡すと、犬の毛皮を着て、その2人は犬になってしまったという結末

小学校の何年で見たのか、覚えていないけど

マツユキソウとか、オオユキノハナとか、スノードロップとか

なんか似ている花で、どういうふうに区別するのかわからないけど、植物園には、オオユキノハナと名札がたっていた

いつもは、1時間半か1時間で帰ってくるのに

車で時計を見たら、11時半だった、立ち話の時間、そんなに30分も話していたのか

とにかく、ジョウビタキのメスとルリビタキのメスに会えたから、とっても嬉しかった

さあ夕飯の支度しなくちゃ^^


# by tokotonton1952 | 2026-02-13 17:42 | Trackback | Comments(0)

次男は優しい

次男がとても優しい

3人の子を産んで、子どもが小さい時に熾烈な怒り方をしてきた

思えば、夫との関係の悪さを子どもにぶつけていたかもしれない

私の母と同じように、結局は私の立場より下にいる人は3人の子どもしかいなかった

難病のこども支援全国ネットワークの亡くなってしまったボスと話をしたとき、子どもをぶったことがあると言ったら

え?そんなことしたの、僕なんか一度もないよというのを聞いて

とてもとても恥ずかしくなったこと忘れない

なんとかみんなと同じようにすること、先生に叱られないようにすること、夫におまえの育て方が悪いと思われないようにすること・・・

そんなことがみんな子どもにぶつけてきたときの思いのような気がする

実際、次男がお父さんを嫌いだと言った時、お母さんも嫌いだった?と聞いた時、嫌いだったと言われた

好きだと思われるわけがない

私の子育ては、母のようにはならないつもりが結局は同じようだったのかもしれない

愛着障害の連鎖と言ったら、また愛着障害と言うのかと、思われそうだけれど

その次男と最初に電車に乗って出かけたのは、母の故郷いわきだった

けれど、電車の中でも話をしない、ホテルに泊まっても、美味しいねと言うこともない

どうしたら良いのかわからなくて、もう旅行に行くなんて思わないかもしれないと思った

それでも、そのあと、どうしても大阪の病院に行ってみたくて

2人で出かける、知らない場所に私主導で動くのはそれが初めてだった

ホテルの予約をして、新幹線の予約をして、病院の予約は当然

それでも、やはり私は間が抜けている

日曜日の関西ブロックの患者会に行ってみたいと思って、京都にホテルの予約をして、それから月曜日の病院の予約をしたら

その先生は、次男の病気の担当とは違う先生で

どうしてここに来たの?今の先生に助けてもらったんでしょ?

と言われた

話が違うじゃないかと思ったけれど、その病院のたった一人の先生だけが、この病気の患者を扱っていたのだと知らなかった

朝8時前に着いたのに、最後の診察だった
いつ呼ばれるかわからないからお昼を取ることもできなかった

たった一つ良かったのは、前日の関西ブロック集会でリハビリの先生にお会いしたこと、終わったらリハビリの部屋に寄るようにと言って下さって
右手のマヒの状態を見てくださった、右手の手首までのマヒで、他の所は大丈夫だからと
その優しいお顔と言葉が、救われた思いがした

病院から駅までのバスがあるから乗って帰ると良いよと教えてくださって

病院スタッフの方ばかりになったバスに乗って駅まで帰った

そのリハビリの先生には

関東のブロック集会にも、何回も来ていただいたが昨年、亡くなられたと、奥様のお手紙で知った

阪神の震災でお家をなくされ二重ローンだと、言っていらした

患者会を離れてずいぶんの時間がたったけれど、離れていたから、この先生の喪失感は私個人の思いだけで、他の病気もあったように伺っていたので悲しくて残念だったけれど・・・お疲れさまという思いだった

京都に2泊の予定で、前日の病院が、夜になってのホテルだったので、駅で夕飯を食べて帰り、この日に帰る予定を立てなかったこと、良かったと思った

翌日は、京都の伏見稲荷に行った

夫の母が憑依しているという神様がその伏見稲荷の中腹にあるお稲荷さんだったから

山門の前で、スズメ焼きを売っているお店があって、次男が食べたいと言うので1串買った、食べ始めたそばから、生々しい新しく焼き始めたスズメがなんというか…見ていた修学旅行の高校生が、食ってるよ、と次男を見て言っていた

どっちが先だったか忘れたけれど

太秦の映画村にも行ってみた、お侍姿の人と写真を撮らせていただいたのに、ちっとも楽しそうでも嬉しそうでもなかった

もちろん、次男の病気そのものが、感情のことも表情も集中力もあいまいなところにいたから私の思い方とは合うはずもなかったのかもしれない

3歳児かという退行から、少しずつ年を追いかけるように良くなっていくのは、発達遅滞というような状況だったからと思う

夫が次男の病気に理解がなかったから、頭が痛いと言っても、怠け心からだろうとしか思っていなかったし

家にいて何かと次男に手伝わせていたりしたから、次男は夫を好きではなかった分、母の私といるしかなかったのかもしれないけれど

思えば、次男とずっとそばにいて

長男と長女のように大学進学で家を出ることもなく、私の感情の変化や年を取るということを一番見てきたのは結局次男だけということになる

優しくしてもらえば優しくもなると言うけれど、そうでもなかった私に、次男は優しい

電話相談を受けているとき、テレビの音がうるさいから、部屋から出て階段に座って話をしている内容を次男は聞いていたかもしれないと思った

よその人の電話相談から、私の思いを知ったのかもしれない

朝頭が痛いと学校を休む時、元気になったから今から学校に行くようになどと言わずに、できればその日は、お母さんとの時間を楽しむというように考えてあげられませんか?

詐病で学校を休んだのではなく、確かに頭が痛かったのですから

そんなことの一つ一つを、次男は聞いていたのだと思う

ずっと一緒にいた次男が一番優しい

もちろん長男には仕事があってそのことも子育ても大変なことだから

そして何より、優しくて可愛いあこちゃんと言う連れ合いを見つけて帰ってきてくれたこと

娘は、子どもを設けない結婚だったから、母の思いは到底わからない

女の子は父親につくと言うけど、会えばケンカになるような娘と会いたいと思えない

別居しているこの2年半に、何度も夫のアパートに行っているらしいと聞いた

マンションに越したとき長男家族と全員で出かけた後、もう何年になるのか一度も会っていない

2年半1度も電話もない、それで良いと思っている

私の子育てが良くなかったのだろう、他人様が育ててくれたあこちゃんは良い子で私を思いやってもくれている

私と46年一緒にいる次男は気の毒だけれど、優しくしてもらって、本当に幸せな親だと思っている


# by tokotonton1952 | 2026-02-06 13:34 | Trackback | Comments(0)

ホテルに泊まる

夫に期待をしなくなって、次男と2人であちこちツアー旅行に出かけた

最初は、全部お任せのツア

高いところは行けないけれど、まあまあの所を探して

もう夫に、○○に行ってきても良い

などと聞いたりしない

書き込み式の大きなカレンダーに○○と行き先を書いて2泊とか3泊とか横に線を引いておくだけ

行ってきて良い?なんてお伺いを立てるから、そんなとこに行くのか、とか、余計なことを言われる

夫だって、どこに行くとか、誰と行くとか私に言ったことなどない

私だけが、何時いつ誰々とどこに行くなんて報告がいるものか

相手が言わないから自分も言わないというのは、その夫と同じレベルになっちゃうじゃないかと、言われた時はなるほどと思ったけれど、結局直さなかった

まあ、同じ穴の狢、というわけだ

私の大義名分は、次男に経験値を増やしてやること

それだけしかなかったかもしれないけど、自由に動けない田舎で、職場と家の往復も母と一緒では悲しすぎると思ったりして

この8年ぐらいはもうずっと沖縄、それも那覇に泊まって居酒屋に行くというだけの旅行になってしまったけど

3泊が4泊になり、帰りたくないという思いもあって5泊になった

観光地はほとんど行ったから、毎夜の居酒屋での島唄とカチャーシーだけで良いということになって

私としたら、沖縄の花を見ることもなくなってしまってそれは少し残念だったけど、レンタカーで運転するのは心配でできない

家にいるときだって、車の点検でも代車には乗らないし、家族の車を運転することもない、ひたすら自分の車だけ

沖縄に行くというのは、すごく料金が高いと思われそうだけれど

飛行機とホテル5泊を時間とかホテルを安いところに選ぶと5泊で5万円ぐらいで行ける

朝食をホテルにするかしないか、部屋でコンビニのパンを食べてごまかすというのは有るけど

夕飯は居酒屋に行くわけでその費用がいくらかかるかということでホテルと飛行機と居酒屋で一人10万ぐらいになるかと

ということで、あちこちのホテルに泊まるようになって

最近は目が見えなくなって夜道を帰ることが出来ないからと、東京に行くときもホテルだった

そのホテルに泊まって、普通のビジネスホテルだけど

ここは良いなあと思う私の基準は、トイレだ

トイレのウォシュレットのボタンの場所と、トイレットペーパーのつけてある場所

そしてそのトイレットペーパーの紙質

ここは良いなあと思うのはあまりないけど、紙質の良いところは増えたように思う

それまでは、家に帰る楽しみは家のトイレに座ることだったのも何回もあったから^^

あとどのくらい沖縄に行けるのか、どこか泊りに行けるのか、わからないけど、次男が行きたいという所、行かせてやりたいと思っている


# by tokotonton1952 | 2026-02-05 19:35 | Trackback | Comments(0)

書いたらUPする

10年前の日記を見た

パソコンの前に座れたらご機嫌だった

何時もカチャカチャと何か書いていて

こんなに何を書いていたのかと今は思う

心からあふれた思いを紙に写すようにカチャカチャとキーボードをたたいた

誰かが何と言ってくれる訳じゃない

素敵な文を書いたでもない

ただ自身に書いたらUPするのが信条と言い続けた

削除するのは簡単だけどそれまでの時間を無にすることが残念に思えたから

書いたらUPする

女が言うことは昔話ばかりだと誰かが言ってた

女が昔話をするからその家の見たこともないおばあさんがどんなことを言っていたかを知ることが出来る

女が昔話を繰り返すからその家の歴史がつながっていく

泣かない子ども時代だった

泣いてもどうにもならなければ泣くことなどなくなる

子どもにだってわかる

泣いたらあやしてくれるとか泣いたら優しい言葉で包まれるとか

そんな経験がないままの子も時間がたてばきっとにこにこ笑う日が来ると

教えてあげたい

可愛いと言われることもない

ばあちゃんにそっくりな顔でめんごくない

その目はばあちゃんによく似てるみったくない

そんな言葉を浴びせられながらかわいい子になるのは無理

可愛いと言われた記憶がない

きっとどこかの神様が決めた

この子に可愛いという言葉は必要ない

誰にも愛されなくても仕方がないって

せめて母にせめて父にそれなら祖母に祖父にさえ

愛されたことがない

廊下の隅の机だけが居場所で

鉛筆を削るのが好きでボンナイフでピンピンに尖らせた鉛筆を筆箱にしまうだけで勉強もせずに

だって鉛筆とがっているのに使うのもったいなくて

真っ白なノートにきれいな字で書けないのに汚すのがもったいなくて

だから勉強もしないでそれでも詩のようなものは書いていた

今は何を書いたのか覚えていないけど

結婚するときそんな恥ずかしいものは燃やしてきたから

家を出るための手段が結婚だったとはずっとずっと時間がたってからそうだったのかと気が付くという鈍いこと

家を出るための結婚だった寿退社ならぬ寿家出

1ヶ月に1度くらい親に顔を見せるものだという言いつけ通り実家に通ったけれど

良い思いなどなかった

生活費が足りなくてお金を貸してほしいと頼んだ時

お金を借りるときは小言をひとくされ聞いてこんなことを言われるのならもう2度とお金を借りたりしないと思うようでなくてはいけないと言う

ぐずぐずブツブツ言われた時2度と借りないと思った

毎月少しずつ返したお金はこれで返し終わりよねと言えばなんだかわかんね

返すじゃなかったと思ったけど

一人目のつわりは2ヶ月入院した

二人目のつわりは上の子を母に頼んだけど1週間で退院して実家に

狭い家に子どもと2人その上に次姉も同じようにつわりで上のと居て

母の小言に耐えられなくてタクシーを呼んで帰った

アパートに帰っても起き上がれるわけじゃないのに

長男が生まれたとき母が言ったのは

お前が男の子なんか生むから私はこの年でまだばあちゃんに男の子の一人も産めなくてと嫌味を言われたと言う

女の子2人を産んだ次姉は子どもの時からの母のお気に入りで

男の子を生む子は根性が悪いとまで言った

母にも愛されない子は夫にも愛されないことに気が付かないのか

愛されるということがどういうことなのかわからなかったのかもしれない

愛なんて絵空事のような映画やドラマの中のことのような

自分に無関係のことのような人生だった

30年も夫を好きと思い続ける魔法にかかったように

魔法から覚めたから女三界に家無しというけど初めて自分の部屋を持った

古い賃貸のマンションでいつでもパソコンを打つことが出来るのに何も書かずにいるのがもったいない

でももう書くことがなくなって昔はなぜそんなに書くことがあったのだろうと思う

書いたらUPするのが信条と言いながらこんなこと書いて残していいのだろうか

あんまり読む人いないからいいかな・・・


# by tokotonton1952 | 2026-02-02 20:34 | Trackback | Comments(0)