結婚して2年間 実家の母にも姉にも、結婚した後の夫のこととか、何も話さなかった 次姉の結婚が決まって、次姉の職場の箱根の保養所に1泊で、母と次姉と私で泊まりに行った その時に初めて夫のことを話した 結婚してからの2年間は、色々あったから 1年間は、夫の妹のお世話もあったし、他の時間は、夫の母の家の掃除洗濯食事 1度、夜8時15分に夫の実家を出れば、それより早く帰ることは出来なかった 溝の口の10時40分の終バスに乗って帰ることが当たり前になった 11時過ぎにバス停に着くと田舎の匂いがした、草の匂いというか・・・ 3回だけ、渋谷で電話をしてみた、溝の口の駅まで迎えに来てもらえない? 1回は、もうパジャマ着ちゃったから 1回は、お酒飲んだから 1回は、まだ終バス有るだろ・・・ それからはもうあきらめた そんなことを次姉に言ったら あんたバカじゃないの? 迎えに来ないんだったらもう行かないって言えば良かったのよ、自分の親のところに行ってお手伝いさんみたいにしてるんでしょ?なんなのそれ・・・ って言うようなこと言われたの覚えている 実家に行ってるときの俺の飯はどうにでもなるから、夕飯の心配はしなくて良い と言うことは早く帰れないということだ 2時間も晩酌をする父の最後のお茶碗まで全部洗って、8時15分だった 帰るとき、父も母も、道を曲がって見えなくなるまで見送ってくれる、また行かないわけにいかなかった 朝9時までに掛かる電話は、入れ歯を外した母が、昨日はお客様が多くてくたびれたんだよ、と言ってくる じゃあ、行きますと言わずにはいられなかった 19の嫁に、家の中のこと、ご飯のこと教えてやるからという名目だった 最初の年に妊娠したけれど、歩けなくなるほどの悪阻で寝たきり状態になって、5ヶ月で堕ろした 悪阻が始まる前に、アパートから2つ目のバスで行ける卵の卸の会社に面接に行っていて・・・ 11月から働き始めた 3万なにがしかのお給料はアパートの家賃と光熱費で消えた でも、社長がとても良い人で、週に1度平日に妹のところに通うことも、快く了承してくれて・・・ 月曜から土曜まで働いているとき 夫は職人だったから、雨が降ると休みで、日曜の私の休みは、東京に行くのに道路が空いているからと、仕事に出掛けて 私はいつも1人だった そんなことを母と次姉に話した 話したそばから、夫の悪口を言ったという罪悪感があって、こんな話ししなければ良かったと、思った この言ってやった,と言うすっきり感はこの後もずっとない 何かで夫のことを言うと、こんなこと言ってどうすると思う・・・ 私は、顔も知らないお父さんと結婚したけど、あんたは好きな人と結婚したんだから、呑む打つ買うという事もない○○さんのことをとやかく言う事は出来ないだろ、と言うのが母の言い分だった 生活費が足りなくて、母に借りに行ったとき 借金をするというのは、文句のひとくされも聞いて、悔しい思いして、こんな思いするならもう借りないと、思うことが大事だと、母はほんとにグズグズと私に言った もう借りるもんかと思った・・・ 20万というお金はまとめて返すことが出来なくて、2万ぐらいずつ長いこと掛かって返した これでもう返し終わったよね?と言ったら、母は、なんだかわかんね・・・長すぎて解らなくても仕方がないけど、私はなんだかがっかりした・・・ 妹が亡くなって、それでもお手伝いさんのようなことが終わることはなくて 私はいつまでこの2時間半ぐらいの距離を通わなくちゃいけないんだろうなんて思った どうやってやめたのかは覚えていない その後、大田区に引っ越したから、私の実家に行くのは電車と歩きで1時間という感じになった 大田区のアパートで、長男次男が生まれた、長男は悪阻で2ヶ月入院した、次男の時は、1週間の入院と、実家で少しいたけれど、母のイヤミに逃げるように帰って来た 結婚してからの9年間は激動の時代だ^^ 土浦に引っ越して、夫は職人を辞めた、腰痛でその腰で仕事は無理だと、ドクターストップのようなものだ 悪阻で寝込むことが私の負い目だった、思いだしても、悪阻以外で休んだことなどなかったのに 娘が生まれて、当然寝たきりで5ヶ月半ばまで 長男が何でもしてくれた・・・ 夫の仕事は兄の会社の新規開拓のようなことで、朝から夜まで忙しかった 兄には、良いことばかり言われて引っ越してみたら、全然話が違って・・・ 大田区と同じように母子家庭みたいだったけど それでも、夫を嫌いと思っていなかった 夫は私に関心がなくても、私は夫が好きだった その昔に気がついていたら^^; 30年も夫を好きと思っていた自分が情けない お金もない、優しさもない、言葉もない それで自分のことをずっと当たり前のように好きと思っているというのはどこからくる自信だ? それなのに、50歳の時に私が爆発して、そのとき離婚も考えずに・・・ それからの16年・・・ 昨日ふと、私は夫のことをグズグズ書いているけど、夫のどこがイヤでこんなに嫌いになったんだっけ?と、思ってしまった まるで最初に悪口を言ったときのような罪悪感のようなもの・・・ 母に何回も言われた、好きで一緒になったんだからと言う言葉・・・ 今働きもせずに、のんきに勝手に暮らしているという,長姉の言う、良いご身分という立場 こうやって私は自分の思うことを素直に思うのではなく、否定して、自分自身を洗脳してきたのかもしれない、とも思ったりした、昨日・・・ 結婚して2年間 実家の母にも姉にも、結婚した後の夫のこととか、何も話さなかった 次姉の結婚が決まって、次姉の職場の箱根の保養所に1泊で、母と次姉と私で泊まりに行った その時に初めて夫のことを話した 結婚してからの2年間は、色々あったから 1年間は、夫の妹のお世話もあったし、他の時間は、夫の母の家の掃除洗濯食事 1度、夜8時15分に夫の実家を出れば、それより早く帰ることは出来なかった 溝の口の10時40分の終バスに乗って帰ることが当たり前になった 11時過ぎにバス停に着くと田舎の匂いがした、草の匂いというか・・・ 3回だけ、渋谷で電話をしてみた、溝の口の駅まで迎えに来てもらえない? 1回は、もうパジャマ着ちゃったから 1回は、お酒飲んだから 1回は、まだ終バス有るだろ・・・ それからはもうあきらめた そんなことを次姉に言ったら あんたバカじゃないの? 迎えに来ないんだったらもう行かないって言えば良かったのよ、自分の親のところに行ってお手伝いさんみたいにしてるんでしょ?なんなのそれ・・・ って言うようなこと言われたの覚えている 実家に行ってるときの俺の飯はどうにでもなるから、夕飯の心配はしなくて良い と言うことは早く帰れないということだ 2時間も晩酌をする父の最後のお茶碗まで全部洗って、8時15分だった 帰るとき、父も母も、道を曲がって見えなくなるまで見送ってくれる、また行かないわけにいかなかった 朝9時までに掛かる電話は、入れ歯を外した母が、昨日はお客様が多くてくたびれたんだよ、と言ってくる じゃあ、行きますと言わずにはいられなかった 19の嫁に、家の中のこと、ご飯のこと教えてやるからという名目だった 最初の年に妊娠したけれど、歩けなくなるほどの悪阻で寝たきり状態になって、5ヶ月で堕ろした 悪阻が始まる前に、アパートから2つ目のバスで行ける卵の卸の会社に面接に行っていて・・・ 11月から働き始めた 3万なにがしかのお給料はアパートの家賃と光熱費で消えた でも、社長がとても良い人で、週に1度平日に妹のところに通うことも、快く了承してくれて・・・ 月曜から土曜まで働いているとき 夫は職人だったから、雨が降ると休みで、日曜の私の休みは、東京に行くのに道路が空いているからと、仕事に出掛けて 私はいつも1人だった そんなことを母と次姉に話した 話したそばから、夫の悪口を言ったという罪悪感があって、こんな話ししなければ良かったと、思った この言ってやった,と言うすっきり感はこの後もずっとない 何かで夫のことを言うと、こんなこと言ってどうすると思う・・・ 私は、顔も知らないお父さんと結婚したけど、あんたは好きな人と結婚したんだから、呑む打つ買うという事もない○○さんのことをとやかく言う事は出来ないだろ、と言うのが母の言い分だった 生活費が足りなくて、母に借りに行ったとき 借金をするというのは、文句のひとくされも聞いて、悔しい思いして、こんな思いするならもう借りないと、思うことが大事だと、母はほんとにグズグズと私に言った もう借りるもんかと思った・・・ 20万というお金はまとめて返すことが出来なくて、2万ぐらいずつ長いこと掛かって返した これでもう返し終わったよね?と言ったら、母は、なんだかわかんね・・・長すぎて解らなくても仕方がないけど、私はなんだかがっかりした・・・ 妹が亡くなって、それでもお手伝いさんのようなことが終わることはなくて 私はいつまでこの2時間半ぐらいの距離を通わなくちゃいけないんだろうなんて思った どうやってやめたのかは覚えていない その後、大田区に引っ越したから、私の実家に行くのは電車と歩きで1時間という感じになった 大田区のアパートで、長男次男が生まれた、長男は悪阻で2ヶ月入院した、次男の時は、1週間の入院と、実家で少しいたけれど、母のイヤミに逃げるように帰って来た 結婚してからの9年間は激動の時代だ^^ 土浦に引っ越して、夫は職人を辞めた、腰痛でその腰で仕事は無理だと、ドクターストップのようなものだ 悪阻で寝込むことが私の負い目だった、思いだしても、悪阻以外で休んだことなどなかったのに 娘が生まれて、当然寝たきりで5ヶ月半ばまで 長男が何でもしてくれた・・・ 夫の仕事は兄の会社の新規開拓のようなことで、朝から夜まで忙しかった 兄には、良いことばかり言われて引っ越してみたら、全然話が違って・・・ 大田区と同じように母子家庭みたいだったけど それでも、夫を嫌いと思っていなかった 夫は私に関心がなくても、私は夫が好きだった その昔に気がついていたら^^; 30年も夫を好きと思っていた自分が情けない お金もない、優しさもない、言葉もない それで自分のことをずっと当たり前のように好きと思っているというのはどこからくる自信だ? それなのに、50歳の時に私が爆発して、そのとき離婚も考えずに・・・ それからの16年・・・ 昨日ふと、私は夫のことをグズグズ書いているけど、夫のどこがイヤでこんなに嫌いになったんだっけ?と、思ってしまった まるで最初に悪口を言ったときのような罪悪感のようなもの・・・ 母に何回も言われた、好きで一緒になったんだからと言う言葉・・・ 今働きもせずに、のんきに勝手に暮らしているという,長姉の言う、良いご身分という立場 こうやって私は自分の思うことを素直に思うのではなく、否定して、自分自身を洗脳してきたのかもしれない、とも思ったりした、昨日・・・
by tokotonton1952
| 2019-06-26 14:16
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